ここは、冬国にある一軒の家の居間。
 ファンヒーターが利いたこの部屋で、「今日」を終えようとしている者が居た。

「ふう…栞がこの家に居るのも、最後ね」

 そう。
 色々な意味で我が家を穏やかにさせなかった妹が、この家を去る。
 …別に栞が家を出る事が良い事だ、という訳ではないけれど。













 ふすま一枚…ではないけれど、妹――栞は、すやすやと寝息を立てている事だろう。
 明日の、特に栞にとっては重大なイベントの為に。

 思えば…誰がこんな結果を予想した事だろう。
 泣きながらも、絶対にあたしの元を離れなかった幼い頃。
 体が弱いあの子の為に、何度も我慢を強いられたあの頃。
 護りたいと思っていたあの子に、死の宣告を告げなければならなかったあの日。
 そして…彼が教室に入ってきた、あの時。

 そう、長い間あたしは苦しんできたのに、彼はたった一月も経たないうちに、妹だけでなくあたしのこころさえも救ってくれた。
 …名雪には悪いけれど、彼が栞を選んでくれて本当に良かった。
 彼が居なければ…家庭は崩壊していたかも知れない。
 本当に、彼は――

「おねえ、ちゃん?」

 声のした方を見ると、妹が意外そうな目で見ていた。

「どうしたの? おねしょでもした?」
「ち、ちがうよ! ただ、喉が渇いたから…」
「なんだ、そんな事」
「そ、そんな事って…」

 軽口を叩き合いながら、栞は牛乳を電子レンジの中に入れた。
 扉を閉める音と、電子音が聞こえた。

「お姉ちゃんは、どうしてここにいるの?」
「え? …そうね、何となくかしら」
「なんとなくって…」
「…あのねえ、ここはあたしの家なのに、居る事にわざわざ理由が必要な訳?」
「あ、いや、そうじゃないんだけど…」
「じゃあなによ」

 あたしの言葉に、栞は考える素振りをする。
 やがて意を決した様に、あたしの瞳を見つめた。

「私も、明日という日を起きて迎えたかったから」

 こういう所が、姉妹と呼べる証なのだろうと思う。
 性格も考え方も違う様でいて、どこか同じところがある。

「…あたしがいたら、何か不都合でもあるの?」
「え?」
「目的の中心人物が一緒に事を行ってくれるのは、とても喜ばしい事だわ」
「…お姉ちゃん…」

 一回は拒絶したあたしだけれど、ちゃんと気持ちは繋がっていたという事だろうか。
 そうだとしたら…なんと幸せな事だろう。

「…まあ、こたつに入ってのんびりしてるだけだけどね」
「ははは」

 笑いながら、栞もこたつに入って来る。

「…積もるかな?」
「積もったらあなたが大変なんじゃない?」
「…うん。すごく困る」
「もうちょっと控え目に降ってくれた方が風情があるのにねえ」
「このままでも綺麗だよ」
「明日雪かき決定だけどね」
「困るなぁ…。…ねえ、お姉ちゃん…」
「何?」

「…今まで…ありがとうございました」

 栞はぺこりと頭を下げた。その拍子にみかんが置いてあった籠に頭をぶつける。

「何、急に改まってるのよ。そんなの相沢君に言いなさいよ。あんたみたいな娘、他に誰ももらってくれないわよ」

 冗談交じりで言った言葉は、割と栞に打撃を与えた様だ。
 栞は驚いてしょんぼりしてから、口を開いた。

「うー、ひどいよお姉ちゃん…。…私が生まれてから今までの全ての事、今の内にお姉ちゃんにお礼を言っておきたかったの。『美坂栞』が言えるお礼は、もう最後だから」

 …うーん、ちょっとからかう所じゃなかったかしらね…。
 そんな事を思いながら、次の句を考える。

「…名前が変わっても栞は栞なんだから、そんな急がなくてもいいわよ」

 名前が変わったからって、何が変わるのだろう。まあ、本人の意識や心構えは変わるかも知れないが。
 栞を見ていると、そう思う。
 「薄命」の名を背負いながらも、「自分」を失わなかった、栞。
 今更、姓が変わったからといって何が変わるのだろう。

「うん…まあ、とりあえず」
「…おかしな子」

 あたしが微笑むと、栞は拗ねてしまった。

「だって…引っ込みが付かないし」
「まあ、それはそうだけど」
「だ、だったら…」

 抗議を続ける妹を後目に、窓の方を見る。

「…雪、止んだわね」
「…あ、ほんと」

 何時の間にか雪は止んでいて、雲も晴れていた。
 月の光に雪が照らされて、幻想的な光景が広がる。

ぴっぴっ

「…レンジが呼んでるわよ」
「うん」

 たたたっと栞が台所へ消える。
 暫くの間を置き、幸せそうな笑顔で戻ってきた。

「はい、お姉ちゃん」
「…ありがと」

 栞があたしの分も作ってくれた事に少し感謝しながら時計を見ると、あと一分で日付が変わる所だった。
 もそもそと、栞がこたつに潜り込んでくる。

 じっと待つ。

 かち。

「…これで、栞は美坂家の人間ではなくなった訳ね」
「…その言い方は、ちょっと」
「冗談よ」
「…なんか、さっきからからかわれてばかりの様な気が」
「それも冗談よ」

 遂に栞が黙り込む。
 …ちょっとやりすぎたかしら?

「…もう寝る」

 案の定、少しご機嫌斜めのご様子。

「…栞」

 無言で振り返る。
 ちょっと怖い。

「…今日という日を迎えた事を嬉しく思うわ」
「…うん。ありがと」

 そう微笑んで言い、栞は扉の向こうに消えた。
 …冗談が堪えないのは、相沢君の影響かしら?
 さて、あたしも今日のスピーチの内容考えないと…どういう風なものにすればいいかしら…。
 ……あ、そうだ。

 件の結婚式。香里が栞に「どうしても駄目だったら帰ってきていいのよ」なんて言って祐一が冷やかされたのは、また別の話。





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あとがき

 …急いで書いたらこんなものですか…。
 製作時間……二時間。

 まあ、元ネタはあの曲です。
 …と言っても、誰が歌ってたか忘れましたが(笑)

 まだまだ修練が足りません…。

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