消えていく傷跡



「何で…今日はこんなに暑いんだ…?」
 俺は、真夏の街を1人で走っていた。
 暑さのためか、周りには誰もいないし、離れた所には陽炎が揺らいでいる。
 その暑さのせいで、この街では珍しく俺は汗をかいていた。
 昨日の夜降った雨もからからに乾いていて、そのせいでさらに暑さが厳しい物になっている。唯一嬉しい事は、東京と違って、雨が乾いた直後でもさほど蒸し暑くならない事だ。
 ちなみに、今日部活がある名雪を、家を出る前に起こしたのがここまで暑くなった最も大きな要因だった。もっと早く家を出る事ができたならば、走る必要はなかったはずだ。
 今日の天気予報を思い返してみると、「今日は、記録的な暑さです」と言っていたような気がする。
 なぜ、こんな日にわざわざ外に出ているかと言うと、話は昨日に遡る。

「祐一〜、電話だよ〜」
 かなり眠たそうにしながら、名雪が自室にいた俺を呼びに来た。時計を見ると、針は夜の9時を指していた。
「おう、サンキュ。誰からだ?」
「………く〜」
 いつの間にか、名雪が糸目になっていた。
 時間にして、わずか5秒。新記録かもしれない。
 ぼかっ
「いたい…」
「誰からの電話だ?」
 頭を叩かれてもまだ覚醒していないようだが、これでも会話位なら十分にできる。
「…え〜っと…か…」
「か?」
「…く〜」
「おい、『か』って誰だ!?」
「おやすみ〜」
 ぱた、ぱた、ぱた…きい、ぱたん
 眠ったまま、自分の部屋に行ってしまった。
「お、おい! ……ま、どうせ香里からだよな」
 そう、俺の知っている人の中で、名前に「か」が付く人は、香里しかいない。
 急いで一階に下り、俺は保留中になっている電話機から受話器を取った。
「よう、お前から俺に電話なんて珍しいな」
『………』
「どうしたんだ?」
『………』
 返事が無い。もしかしたら、今は受話器から離れているのかもしれない。
「名雪から変わったぞ! とっとと返事しろー!」
 香里に聞こえるように、大きな声で呼びかける。
『……祐一、うるさい』
 直後に返事が聞こえた。
「…舞か?」
 名雪は『か』って…あれ、舞の苗字は…
「『川澄先輩』か…」
 舞は学校の有名人だから、名雪も知っているのだろう。
 実際、舞の噂を初めて聞いたのは、北川からだった。
『祐一、うるさかった』
「お前が返事しないからだろ! …で、用件は何だ?」
 気を取りなおして、早速本題に入る事にする。
『明日の8時半、私の家に来て。伝えたい事がある』
「なら、今ここで言えばいいだろ?」
『駄目。明日、私の家で全部話すから』
 がちゃ、という音と共に、電話が切れた。
「お、おい舞! …何なんだよ、一体」
 溜め息と共に、俺は電子音しか聞こえなくなった受話器を置いた。

 と言うわけで、今俺は、舞の家に向かって駆けているところなのだ。
 川澄舞。かつて夜の校舎で、一緒に魔物と戦った仲間だ。
 その魔物は、今は舞の能力として存在している。確か、舞が「まい」と呼んでいたはずだ。
 ちなみに舞は、独りで叔母さんの家に住んでいる。
 なぜ独り暮しなのかと言うと、ボランティア活動で世界中を飛び回っているからだそうだ。
 前に、「叔母さんと最後に会ったのはいつだ?」と訊ねたところ、「3年前から会ってない。でも、1年前に写真を送ってくれた」と舞は言っていた。
 それを平気な顔をして言えるのだから、舞はその叔母さんを完全に信頼しているのだろう。普通ならば、三年も会わなければ誰でも心配するものだ。
「…ん…あれだな」
 目の前に、目印の店が見えてきた。
 俺は、速度を落として、歩くことにした。
「そろそろ…だな」
 目の前の角を曲がると、舞の家が見えてくるはずだ。


「…これで、これは終わり」
 ガスコンロの火を止める。
 私は今、料理を作っている。
「……」
 外に、誰かの気配を感じた。…祐一の気配。
「…来た」
 私は、次の作業を止めて玄関に向かった。絶対に、これを知られる訳にはいかない。
 玄関に着き、急いで扉を開けた。
「わっ!」
 扉の後ろで、祐一の驚いた声が聞こえた。
 今日は、話があって呼んでいたのだ。
「よう、舞。今日も暑いって言いうのに元気だな」
 私の勘通り、扉の後ろには祐一が立っていた。
「…ごめん、呼び出したりして」
「どうせ暇だったんだし、気にするな。それよりも、話って何だ?」
「あ、祐一。入らないで」
 部屋の中に入って行こうとする祐一を、私は制した。
「あ、ああ。なら、手短に頼むぞ」
 大丈夫。私は、話を長くしたくない。
「佐祐理が、『祐一さんに話があります。駅前で待ってます』って言ってた」
「そうか、それだけか?」
「…それだけ」
 祐一が、変な顔をした。
「こらっ、舞! わざわざ呼び出しておいて、それは無いだろ!」
「とにかく、早く行ってあげて」
「こら、話を逸らすな!」
「佐祐理が待ってるから、早く」
 私は、祐一に後ろを向かせて、背中を押した。
「舞、話は終わってないぞ!」
 その言葉を無視して、祐一を駅前に向かわせた。

「…私の、臆病者」
 祐一の姿が角に消えて見えなくなったところで、私はぽつりとつぶやいた。
 たった一言だけ、祐一に言いたかった。
「私は、祐一が好き」
と。でも、結局何も言えなかった。
 怖かったんだと思う。佐祐理が祐一の事を好きなのを知っていたから。
「佐祐理、頑張って」
 私は、中に入って行った。料理は、もうすぐ終わるから。



「祐一さん、遅いな…」
 駅前のベンチに座って、佐祐理は祐一さんを待っていた。
 夏休みだからか、随分と周りが騒がしい。思っていたよりも、駅前で待ち合わせる人って多かった。
 今日は暑いから、もっと少ないと思ってたのに…失敗。
 佐祐理の軽く浮かべた笑顔が固いのが、自分でもよく分かる。かなり緊張してるみたい。
 祐一さんを待つちょっとした時間潰しに、祐一さんが来たと想定して、にこやかな笑顔を作ってみる。
「来てくださったんですね。わざわざありがとうございます」
「ああ。思ったよりも、分かりやすい位置にいてくれて助かった」
「えっ!?」
 見ると、横に祐一さんが立っていた。
「大丈夫? なんか、顔が固いけど」
 見られていたらしい。顔が赤く染まっていくのが分かる。
「ほぇ、ゆ、祐一さん、来てるなら来てるって言って下さい!」
「で、話って?」
 祐一さんは、佐祐理の言葉を無視して言った。でも、佐祐理はあえて追求しない。
「は、話っていうのは…」
 立ち上がって、佐祐理は本題に入ろうとした。
 でも、本題を切り出そうとしたら、急にアガってしまって、上手く喋れなくなってしまう。
 真剣に佐祐理の言葉を聞こうとする祐一さんの瞳が、じっと佐祐理を見つめる。
「落ち着いて、少し深呼吸してみたらどうだ?」
 祐一さんの言葉に、ゆっくりと深呼吸してみる。
 …うん、少し落ち着けた。
 心臓の音が、わずかに遅くなったのが分かる。
「実は…お願いがあるんです」
 緊張するけど、今度は止めずに言葉を続ける。
 昨日の夜、何度も何度も練習した言葉を、ゆっくりと紡ぐ。
「あの…さ、さゆ」
 そこまで言って、佐祐理は首を振った。
 このままじゃいけないと思って、自分から変わる努力をするのだから。
「…わ、わたしと…付き合って下さい!」
 身体中が、お湯を流し込んだみたいに熱くなるのが分かる。
 何を言われたのかが上手く理解できてない祐一さんが、わたしの顔をじっと見ている。
「さ…佐祐理さん」
「お願いです! 答えて下さい!」
 祐一さんの顔を、視線を逸らさずにしっかりと見て言う。
「……丁寧語はだめだぞ。佐祐理さん」
「は…う、うん!」
 その返事が嬉しくて、わたしは祐一さんに抱きついた。
「さ、佐祐理さん! ちょ、ここ駅前!」
 祐一さんの慌てた声が、すぐ耳元で聞こえる。
「いいの!」
 わたしは、腕にさらに力を込めた。
 せっかく手に入れた幸せを、絶対に手放さないように。


「…お帰り、まい」
『ただいま。佐祐理お姉さん、成功したよ』
 そう言って、まいは虚空に消えた。
 祐一が駅前に向かった後、私はまいを佐祐理のいる所に向かわせていた。
「佐祐理、やっと素直になれた」
 私は最後の仕上げにかかり始めた。後残っている作業は、飾り付けだけ。
 飾り付けは、あまり得意じゃないけど、2人のためになら頑張れる。
 …やっぱり、祐一は佐祐理と一緒にいるべき。私は、祐一には似合わない。
 さっき作ってた料理と、今してる飾り付けは、2人を祝う…ささやかな祝宴のための物。
 私は、2人を心から祝福したい。だから、最後まで絶対に手を抜いたりしない。
 佐祐理には、祐一と一緒に来るように言ってあるから大丈夫。
「………」
 私は、少しは変わったんだと思う。それは、祐一と佐祐理のお陰。
 ふと、台所の小さな窓から空を見た。
 窓から見た空は、全てを吸い込みそうな位に、どこまでも青く澄んでいて…とても気持ち良かった。

 秋は、もう近い。



あとがき

 結構前に書いた作品です。なので、載せる直前に校正作業をしたのですが…あまり上手く直せませんでした。
 申し訳無いです。


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