瑞佳とみずか




 ほわほわ浮いていた。
 …水の中での浮遊感とはまた違う…何と言うか、重力の感覚が「ある」けど「ない」という、ちょっと説明しにくい感覚。
 周りは全部真っ白で、頭の方が上にある気もするし、下に(逆立ちみたいに)なってる気もする。
 …でも、立ってる事は確かに理解できる。
 ここは、どこだろう。
 わたしは、もう随分ここに身を委ねながら、今更それを考えていた。

「…あなたが」

 声のした方を向いてみる。だけど全部真っ白で、誰がわたしの事を呼んだのか判らない。

「あなたが、みずか?」

 もう一度声がした。
 その姿を確認したいと思った時、目の前の一点から、タコの墨のような…マーブル状の絵の具をチューブから勢いよく出したような…そんな感じで「景色」が広がり、わたしを包んだ。
 風が吹く、真っ青な空の下の草原だ。
 わたしはその状況の変化に、割と冷静について来ていた。浩平が消えた時に比べれば、全然平気。
 ふと、目の前に誰かが居る事に気付く。
 白のワンピース、黄色く細いリボンを栗毛色の長い髪に二つ結わえた、小さな女の子。

「…あなたが、みずか?」

 女の子がわたしに尋ねる。…さっきの声と、言葉。この子が、わたしをここに呼んだんだと解った。

「え、あ…うん、そうだよ」

 女の子はうつむく。
 暫くの静寂…二人の間の沈黙。

 少し…困ったな。

「あの…」
「浩平は」

 わたしの声を遮って、聞きなれた単語を、女の子はその口から紡いだ。

「浩平は…元気?」
「浩平を…知ってるの?」

 わたしはこの子を知らない。
 何だかんだ言っても浩平は殆どわたしと一緒に行動してきた。だから、浩平の知り合いの九割はわたしも知ってる。

「うん」
「あなたは…誰なの?」
「みずか」
「…みずかちゃん?」
「うん」

 わたしと同じ名前。

「ここは…どこ?」
「えいえんの世界。全てが終わっている世界。…浩平が望んだ世界」
「…浩平は一年間、ここに来ていたんだね」

 わたしは、浩平はあの時違う世界へ行かなければならなかった、という事だけは理解していた。

「いちねんかん、ってなに?」
「ん、時間の単位だよ」
「…よくわからない」

 ここに終わりがない…時間が無いのなら、知らなくても当然なんだけど…。

「…あなたが、浩平を悲しみから救ったんだね」

 ぽつりと、呟くようにみずかちゃんは言った。

「え?」
「浩平が言ってた。向こうの世界は悲しい事もあるけど、楽しい事も、守ってあげたいものもあるから、って」

 向こうの世界―わたしたちの世界。時間…そして終わりのある世界。浩平は、この世界じゃなくて、わたしたちの世界を選んでくれた。
 だけど…選ばれなかった世界に住むみずかちゃんの顔には、はっきりと悲しみが表れていた。

「わたしは…浩平との約束を守るために、この世界をつくったけど…。浩平のいる世界は、その間に変わっちゃってて…。浩平がこの世界を望んだとき、浩平と一緒にこの世界をつくってたんだけど、とつぜん浩平とおはなしできなくなって…しかたなくわたしだけでつくって…だけど、もう浩平は…いらないって…」

 みずかちゃんの顔が、悲しみに染まっていく。
 浩平が「永遠」を望んだ時。それは浩平の妹、みさおちゃんがいなくなった時。
 わたしは、頑張って浩平と一緒に遊びたいと思った。
 結果、石をぶつけちゃって思い切りいじめられる事になっちゃったんだけど…みずかちゃんにとって「お話できなくなって」っていうのはその頃…。
 この子も、浩平の為に、頑張って…。

「浩平は…しあわせ?」

 みずかちゃんがわたしを見つめて、言う。…目には、涙をたたえて。
 わたしは、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。

「こうへいは…しあわせかな…?」

 もう一度、みずかちゃんは訊ねる。自分がした事の、正しさを求めて。

「…うん、幸せだよ。…わたしが、浩平を絶対に幸せにするから」

 そうでないと…この、健気な少女に、顔向け出来ないから。

「…ふうん…そっか…」

 みずかちゃんは、頑張って微笑んだ。目を細めた拍子に、そこに溜めていた涙が一滴、流れ落ちた。
 今わたしが、みずかちゃんに言わなければいけない言葉が、自然と出てくる。

「…みずかちゃん」
「…なに?」
「この世界は…もう、永遠じゃないよ」
「…どういう事?」
「あなたの心は、浩平と話して色々変わった筈だよ。そして、浩平の為に頑張った。何も変わらない筈のこの世界で変わったという事は、もうこの世界は『永遠』じゃないって事だよ」
「…よくわからない」
「ゆっくり考えればいいよ。時間は、まだまだ沢山、あるから」
「……」

 …あ、「時間」って言ったら解らないか。

「…まだまだ沢山、考えていられるから」
「…うん、わかった」

 みずかちゃんは、こくんとうなずいた。





 わたしは、布団の中だった。

「…夢?」

 何の気なしに寝返りをうつ。…そして、驚いた。
 思わず声を上げそうになったけど、何とか抑える。

「そうだった…浩平の家に来てたんだっけ」

 浩平が永遠の世界から帰って来て、わたしたちはまた付き合い始めた。
 で、昨日は「一週間ほどインスタントしか食べてない」という浩平の為に夕食を作りに行き、そのまま泊まったんだった。
 もぞもぞと動いたかと思うと、隣の人のまぶたが開く。

「ん…瑞佳、起きてたのか」

 彼はそう言うと、わたしのほおに手をやる。…くすぐったいけど、気持ち良かったりもする。

「…浩平」
「ん?」
「今日、不思議な夢を見たんだよ」
「何を見たんだ?」
「…やっぱ内緒」
「何だよ」
「まあ、とりあえず朝ご飯にしようよ」

 わたしはベッドから出ようとする。

「待った」
「わっ」

 二の腕を掴まれ、ベッドに引きずり込まれる。

「昼間で瑞佳と寝る。決定」
「もう昼だよ…」
「じゃあ夕方まで」
「そんな…」

 抗議するけど、そんな事問答無用で、わたしを腕の中に収めると満足気にすやすやと寝始めた。
 …まあ、こんな日もいいか。
 時間に限りがあるから、こんな時間が幸せで。
 一緒にいる事を嬉しく思い、会いたいと思う。


 だから…わたしたちは幸せです、みずかちゃん。





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