その日一枚の葉書が俺の元に届いていた。
それは結婚式の招待状。
送ってきた人物は、俺のいとこである水瀬名雪。それとその横には俺のまったく知らない男の名前。
あの街を出てから5年以上の歳月が流れていた。
出がけに郵便受けの中からそれを発見した俺は、とりあえずそれを懐に入れ、街へと繰り出した。
木枯らしが吹きすさぶなか、俺は駅前に向かって歩く。
しばらく歩いていると目に入ったのは、アイスクリーム屋。
31種類以上のアイスが置いてあるこの店も、真冬のこの寒い時期には開店休業状態……かと思いきや、店の中にアイスを買っている物好きな客がいた。
その客は中学生くらいの女の子で、3段重ねのコーンアイスを店員から受け取っていた。
俺は思わずたちどまり、彼女の様子を観察した。
彼女は店内の椅子に座ると、嬉しそうに一番上に乗っている白い固まりにそっと舌をはわせた。
次の瞬間、顔に笑顔があふれ出す。よっぽどアイスクリームが好きなんだろう。
この寒いのに、よくアイスクリームなんか食べるなと、妙に感心する。
そう言えば、あの雪の街にも外でアイスクリームを食べる奇特なやつがいた。もっともあいつは時間がないだけだったのだが……。
彼女のことを思い浮かべると、胸が疼く。俺はあの時、首を縦に振れなかった。
あの時首を縦に振ることが出来れば。でも俺にはそれが出来なかった。俺は弱い人間だから………。
俺はため息を一つついて、再び駅へと向かった。
やがて線路が見え、その線路沿いに歩いていくと駅が見えてくる。
空はどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうだ。もし降るとしたらきっと冷たい雨に違いない。
そんなことを考えながら歩いていくと、駅前に到着した。右手には駅舎、左手にはバスターミナル。夕方のせいか、休日のせいかは知らないが駅前は渋滞していた。
そんな渋滞を横目にみて、俺は近くのコンビニに立ち寄った。特に用事はない。いや、あるとすれば、本を立ち読むことが目的だったりする。
しばらくの間、俺はそこで読書を決め込んだ。
少年誌・少女誌・青年誌・婦人誌・4コマ雑誌・PC雑誌、車雑誌そして、男性向け雑誌。
棚に並んでいる雑誌を片端から手に取り、ぱらぱらとめくり、おもしろそうなところだけ拾い読みする。
それが終わるとコミックス。読んではいるけど買ってはいない新刊を手に取り、ざっと流し読みをする。
お気に入りのボクシングコミックを読み終わると、店に入ってからそろそろ二時間が経とうとしていた。
さすがに何も買わずに店を出るのは気が引けたので店内を物色すると、レジの前の中華まんが目に入った。
そう言えば、あいつは肉まんが好きだったな………。そんなことを思いながら、肉まんを一つ買ってコンビニから出た。
ありがとうございましたという店員の声が背中から追いかけてきた。
肉まんを食べながら再び駅前をぶらつく。
肉まんの温かさがこの寒い季節にはやっぱり嬉しい。あいつもこの温かさが好きだったんだろうか?
あいつは今頃どうしてるんだろうか? 断りもなしに水瀬家から出て行って、結局音沙汰なしだった。
あいつが出て行ったあと、妹が出来たみたいだったのに………と、ちょっと残念そうにつぶやく、あの日の名雪の顔がなぜか目に浮かんだ。
肉まんを食べると空腹中枢が刺激されたのか、やたらと腹が減ってきた。
どうしようか……。立ち止まってしばらく考え、ちょっと早めの晩飯を取ることにした。
でも、何を食べるかは決まらず、何かいい店はないかと結局駅前をぶらつく。
そこで出くわしたのが、デパートの前に屋台を出すたい焼き屋。
俺は買おうかどうかしばらく迷って、結局買うのをやめた。
晩飯を食おうと思っていたのだ。おやつじゃない。
たい焼きの甘く香ばしいにおいをかぎながら、俺は店の前を通り過ぎた。
店から離れても、しばらくはあの甘いにおいが俺を追いかけてきた。
たい焼きといえば、あいつだ。
結局、あいつとはあれきり会っていない。
『今度は俺の方から遊びに行ってやる』
そう言ったのに、俺は結局あいつの街に行くことはなかった。
また、嫌っていうくらい会える。あの夕焼け日、俺は確かにそう思っていた。でも、あれ以来一度も会う機会がなかった。
俺は結局、あいつの連絡先を何一つ知らなかったから。会いたいと思っても、その術がなかったのだ。
電話番号の一つも聞いておかなかった、俺の手落ちではあるのだけれども……。
あいつは今頃どうしているんだろうか? きっとあいつのことだから、おっちょこちょいだけど優しいお母さんになっていることだろう。
俺は一つ肩をすくめると、とある目的地に向かって歩き出した。
向かった先は牛丼屋。いい加減外にいるのも寒くなってきたので、お手軽な場所に決めたのだ。
からからと扉を開け、席に座り牛丼のつゆだくを注文する。
狂牛病のせいで、一時期はすっかり店頭から姿を消した牛丼だが、今はだいぶ復活している。
とは言っても、この牛丼はアメリカ牛ではなく、オーストラリア産だそうだが。
無感動に牛丼を食べ、腹を満たすと、俺は行きつけのバーに向かった。
「いらっしゃいませ」
20人程度でいっぱいになってしまうような小さな店。マスター以外誰もいないバー。
バックバーには様々な酒瓶が並ぶ。ここに来て、いろいろな酒を頼んだが、未だにまだ飲んでいない酒も多い。
「今日はずいぶんと早いんですね」
「何もすることがない独り者だからね」
そう言って、俺はキープしていたボトルを注文する。
最近会社の同僚の薦めでウイスキーを嗜むようになった。いくつか試したなかでこれが一番飲み口が気に入ったのだ。
俺は家に帰る前にこのバーによって、それをロックで一杯飲んで帰ることを日課にしていた。
それはジョニーウォーカー赤ラベル。ジョニーウォーカーといえば、黒ラベルが有名だが、その他にも、赤、緑、金、青とある。
そのうちグレードの一番低いのが赤だ。それから、黒、緑、金、青と値段が高くなる。
金と青は値段がかなり張るので試していないが、赤と黒と緑を飲み比べた結果、赤が気に入ったのだ。高ければいいってものじゃない。
そんなことを思いながら、ぼんやりとしていると、グラスと瓶が、目の前におかれた。
飲み口の広いグラスに、直径8cmほどのまん丸い氷が一つ。そしてその横には口の開いたジョニ赤。
俺は、ジョニ赤を手に取り、グラスに琥珀色の液体を注いだ。
かすかにショパンが流れる店内。
俺は、持ってきていた結婚式の招待状を取り出した。
そこには定型の文章と名雪の名前、そして俺の知らない男の名前。
家を出る前に確認した事を改めて確認した.
名雪とは今でもたまに電話でやりとりをする。
あの街の連中とは今ではほとんど話をすることもないが、その中で唯一の例外が名雪だった。
「結婚するなんて、前の電話では一言も言っていなかったのにな」
そう言いながら、俺はグラスに入ったジョニ赤をあおる。
琥珀色の液体がのどを通り抜け、それと同時にその液体は身体の内側から薫りを届ける。
「ふー」
俺は大きく息をはきだしながら、そのままぼんやりと招待状を見つめていた。
名雪が誰かと結婚するということに、寂しさを感じていた。
俺は名雪のことが好きだったから。もちろん、それは恋人関係のそれではなく、仲の良いいとこ同士――というより、俺と名雪の関係は兄妹に近いところがあった。少なくても、俺はそう思っていた。
その妹分の結婚は、自分が思っていたよりも心に衝撃を与えていた。
もちろん、名雪の結婚を祝う気持ちは十分にある。でも、自分の中から湧出する寂しさを俺は隠すことができなかった。
それは、たぶん郷愁。もしかしたらそれは未練なのかもしれないけど、これから名雪をその男から奪う気もない。だからこれは郷愁なのだ。
俺はぶんぶんと首をふって、マスター、お勘定っと言って立ち上がった。
家に帰ると、俺は飾ってあった目覚まし時計を手に取った。その目覚まし時計は、冬の街にいたときに名雪から借りていた時計。
俺が水瀬家から出るときに、是非持って行って欲しいと無理矢理名雪に持たされたものだ。
いま、この時計は置き時計として使われていた。
背面をいじり、アラームが鳴るように設定を変える。
『朝〜、朝だよ〜 朝ご飯食べて学校行くよ〜』
次の瞬間、あの冬の街で毎日のように聞いていた、名雪の声が流れ始める。
俺はその名雪の声を何度か聴いたあと、その目覚ましから名雪の声を消した。
それからいつものようにweb世界を巡回し、12時を回ったところで明日に備えベッドに潜る。
もしかしたら、あの北の街の夢を見るかもしれないと思いながら。
でも、その日俺があの北の街を夢見ることは無かった。
FIN
あとがき
どうも、初めての人は初めまして、2回目以降の人はお久しぶりです。琴吹です。
この話は、最初に思い浮かんで、一度没にし、別な話を書いて、うまくいかなかったので、こっちの話に帰ってきたといういきさつがあります。
久しぶりのお話は陰気くさいお話になってしまいました。結婚という題は、明らかに未来あるいは秋子さんの過去を想像させるだけに、ちょっととっつきにくいところがあったように感じます。
今回の話では栞の告白に首を縦に振らず、そのまま何もないエンディングを迎えたという設定です。
最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。