三人で…

 

 それは、ある晴れた日のことだった。

 

「すみません、祐一さん」

「あ、いえ。かまいませんよ佐祐理さん」

 この日は日曜日で、朝から名雪は部活で不在。秋子も急な仕事で家を空けてしまったため、祐一は突然訪ねてきた佐祐理の応対に追われていた。祐一は慣れない手つきでお茶を出すが、佐祐理はうつむいたまま手をつけようともしない。

 普段は明るい笑顔を絶やさない佐祐理が沈痛な面持ちでたたずんでいるせいか、少しだけ気になってしまう祐一であった。

「あの、祐一さん……」

 不意に佐祐理は、真剣な瞳を祐一に向けた。

「相談に乗って欲しい事があるんです」

 そのただ事ではない様子に、思わず祐一もうなずいてしまうのだった。

 

「そうですか、なるほど……」

 話を聞き終えた祐一は、真剣な様子で深くうなずいた。

 佐祐理は学校を卒業した後は、家を出て舞と二人で暮らすつもりである。ところが、父親の反対にあってしまい、このままだと計画は頓挫してしまう恐れがあった。

「それでですね、祐一さん」

 佐祐理はすっと祐一に身を寄せ、真剣な様子で見上げるような視線をおくる。

「お父様を説得するのに、協力して欲しいんです」

「いや、しかし……それはですね……」

 あまり見る事の出来ない佐祐理の甘えるような瞳と、なにかにすがるような表情に祐一はたじたじとなってしまう。

「ふえ……佐祐理のお願い、聞いてくださらないんですか?」

 途端に佐祐理の瞳が潤み、目じりには今にも零れ落ちそうな真珠が浮かぶ。

 その上目遣いのうるうる瞳と、佐祐理独特のあまい香りに、抗う術を持たない祐一であった。

 

「しかし、ここは……」

 いつ来ても落ち着かないと祐一は思う。

 倉田家のリビングには豪華な調度が揃えられており、それだけで場違いな空気を感じてしまうからだ。

 目の前のテーブルは黒檀で作られているらしく、ずっしりと落ち着いた雰囲気は圧倒的だし、腰掛けているソファーもゆったりと体を包み込んでくれているようだ。床に敷かれたカーペットは相当よいものであるらしく、歩いても音がしないばかりか、足首まで埋まってしまいそうなくらいの柔らかさだ。

「どうしたんですか? 祐一さん」

「いや、そのですね……」

 そんな中で祐一は、佐祐理にしっかり腕を組まれているのだから、違和感よりも先にその態度に不自然なものを感じてしまう。そのせいかこのリビングは、いつも以上に居心地の悪い場所になっていた。

「ところで、佐祐理さん」

「はい、なんですか? 祐一さん」

「佐祐理さんのお父さんって、どういう人なんですか?」

「立派な方です」

 満面の笑顔で佐祐理は即答した。

「たくさんの人に信用されている人なんですよ〜」

 まあ、佐祐理の人柄を見れば、その父親も立派な人なんだろうと祐一も思う。名雪を見れば、秋子がどういう人物であるかわかるように。

「……一弥も……」

 不意に佐祐理はうつむいてしまい、小さく声を出す。

「一弥にもお父様のような、立派な人になって欲しかったんですが……」

「佐祐理さん……」

 その場が妙にしんみりとした雰囲気になった、丁度そのときだった。

「佐祐理っ! 佐祐理は帰っているかっ!」

 遠くの方から轟雷のような声と、ドスドスドス、と言う足音が近づいてきた。

「お父さまっ!」

「おおっ! 佐祐理っ!」

 観音開きの扉を豪快に開け、入ってきた大男の胸に勢いよく飛び込んでいく佐祐理。

「……うそだろ……」

 佐祐理が父と呼ぶその男は、身長は優に二メートルはあり、肩幅も一メートルはあるだろう。その胸に抱かれている佐祐理の体が、まるで針金のように見える。

 フランケン=シュタインのような四角い顔つきに、縦横に走る魚の骨のような傷痕。その姿を見たとき、祐一の脳裏にはある人物が浮かび上がった。

(ドズル=ザビ中将?)

 両肩についたスパイク付きの肩当てに、思わず頭を抱えてしまう祐一。

 その一方で祐一は、佐祐理さんが父親に似なくて良かったな、と心のそこからそう思い、それと同時に一弥がああいう人物になるのは絶対に無理だと思うのだった。

 

「貴様が相沢祐一か……佐祐理から話は聞いている」

「はあ、それはどうも……」

 佐祐理パパ(ドズル=ザビ中将)の全身から発散される圧倒的なまでのプレシャーに気おされつつ、なんとも気のぬけた返事しか返せない祐一。

 それはともかくとして、なんとなく感じる『お父さん、お嬢さんを僕にください』的な雰囲気にはかなり違和感がある。

 そんな祐一の緊張を察したのか、佐祐理はそっと祐一の手に自分の手を重ねた。そっと寄り添うような感じの二人の姿に、佐祐理パパは途端に狼狽した表情を見せる。

「佐祐理……? お前、まさかその男と……?」

「はい……」

 頬を桜色に染めてうつむき、今にも消えそうな声で返事をする佐祐理。

「佐祐理はこの家を出て、祐一さんと……三人で一緒に暮らしたいんです」

 突然の娘の発言に、佐祐理パパの顔色は信号機のように赤、青、黄、とめまぐるしく変わる。確かに娘に会って欲しい人がいる、と紹介されたのだから、充分に予想していてもよかったはずだ。

 しかし、だからといって今目の前にこうして娘がにこやかに寄り添う男の姿をみると、その心中は穏やかではなくなってしまう。

 

「うおおおおおおおぉぉぉぉっ!」

 

 いきなり叫び声をあげて立ち上がった佐祐理パパはリビングに置かれている、片手に石を持ったフルチンの少年像を自らの鉄拳で瓦礫のやまに変えた。

「お父さま?」

 

「ぬおりゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

 

 娘の呼び声に、佐祐理パパはその隣りにあった、両腕のない半裸の女性像をも粉砕した。

 そして、全身から巨大な悪魔のような闘気を発散させ、地響きを伴うかのような足取りでゆっくりと祐一に向かって来る。

 

「相沢祐一ぃっ!」

「はいぃっ!」

 

 ほとんど怒鳴り声のような爆音に、祐一は直立不動で立ち上がってしまう。その圧倒的なまでのプレッシャーに気おされたのか、まったく身動きが取れない。

 

「貴様っ! 佐祐理が好きかっ!」

 

 ちら、と佐祐理を見ると、期待に満ちた瞳で祐一を見つめていた。

 

「好きなのかぁっ?」

「はいぃっ!」

「よぉーしっ! 気にいったぁっ!」

 

 佐祐理パパはグローブのような大きな手で、祐一の肩をバシーンと叩く。

「祝いの宴の準備だ。佐祐理」

「はい、お父様」

 にこやかにリビングから去っていく佐祐理。そして、後にはただ呆然と立ち尽くす祐一が残されるのみとなった。

 

 この後のことを祐一はまったく覚えていない。

 なぜなら、祐一の意識はすでに闇に落ちていたからだ。

 

 

 

 

 

 

 ふと気がつくと祐一は、見知らぬ部屋にいた。

 どうやらアパートの一室らしく、六畳一間のつつましい間取りの小さな部屋で、祐一は佐祐理と二人きりになっていたのだ。

「あの……佐祐理さん?」

「はい、なんですか? 祐一さん」

 そこまで言って佐祐理は、あわてて口元を押さえた。

「すみません、あ・な・た(はぁと)」

 そのいつもとは三割増しくらいの笑顔をうかべている佐祐理の姿に、祐一はめまいのようなものを感じた。

「どうして俺は『倉田祐一』になってるんですか?」

「お父様が仰ったんです。こういうことはきちっとしておくものだ、って……」

 それはつまり、婿養子になったって事だろうかと、祐一は低くうめく。

「ところで、舞はどうしたんですか?」

「はぇっ? 舞ってなんのことですか?」

 心底びっくりしたような表情を浮かべる佐祐理の姿に、祐一の心に疑念が浮かぶ。

「三人で暮らすんじゃなかったんですか?」

「はい、三人ですよ……。あなたと、佐祐理と……」

 そう言って佐祐理は頬を染め、いとおしげに自分のお腹を撫でた。

「男の子がいいですか? それとも女の子のほうが……」

「そっちの三人かいっ!」

 

 世間知らずのお嬢様、佐祐理。

 それに巻き込まれた主人公、祐一。

 二人の物語は、こうして幕を開けたのだった。