『優れた物理学者だった故一ノ瀬夫妻の娘……』

 きっかけは、ニュースだった。

「どうしたんですか、朋也くん?」
「いや……なんでもない」
「……朋也くん、何か隠してます」
「ああ……そうじゃないんだ。ちょっと、ある女の人に会ってくる」
「パパ、うわき?」
「違うっ! ……昔友達だった有名人に会いにいくんだ」
「はあ……」

 渚は頷くだけだった。

「悪い。今、あいつに会わなきゃいけない気がしたんだ……」











変わる人、変わっていく町、そして幸せ


第五話 春の夢、赤の夢














 久々に来たそこは、荒れ果てていた。
 門が少しだけ開いていたが、そこからではなく、敢えて裏から回って入る。

「……俺、泥棒みたいだな」

 そんな事をつぶやきながら、入っていく。
 そして開けたところは、人が住んでいる事を疑ってしまう様な場所。
 芝は草原と化し、木は枝が伸び放題。
 そこに花壇があった事を、レンガの連なりが伝えている。

『この子は、ことみちゃん』

 たまたま、迷い込んだのだった。
 あの日の事を、思い出す。

 俺は、別の道を歩んだ時の事を、少しだけ覚えていた。
 もう今となっては、何十年も、もしかすると何百年か前の記憶。
 ただこの未来に向かう為に歩いてきた、悠久の記憶。
 その中で出会った顔が、ニュースに出ていた。

 一ノ瀬ことみ。

 あの顔を見たときに、思い出したのだ。俺とあいつが、どんな道を歩んだことがあったか。
 今はもう、俺はあいつと一緒に歩く事は出来ない。
 だが、あいつの背中を押してやれるのは、今となっては俺だけだと思った。
 ……いや、それすらも差し出がましいのかもしれない。
 もう立ち直って……いや、流石にあの両親の遺言でもあるスーツケースもことみに手渡されているだろう。
 墜ちる飛行機の中で、発表間近の大論文と差し替えに入れてあった、誕生日祝いの言葉とクマのぬいぐるみ。
 混乱した機内の中、落ち着いて書かれたと見られる文章を書いたあの人たちは、俺は人間として尊敬している。

 その気持ちを受け止める心の強さ。
 
 それくらいは……大人になっているはずだ。
 それだけの、時間が経った。

「……やっぱり、帰ろう」

 そう、きびすを返した。
 この、荒れ果てた庭を背にして。

『…はんぶんこ』
『一昨日は兎、昨日は鹿、今日はあなた』

 一瞬、歩みが止まってしまった。
 そして。

がらっ

 …得てして運命と言うものは、やはり仕組まれたものじゃないかと思うのだ。
 そう、彼女がここに居るわけがなかった。
 ここに来てから思ったのだ。
 あれだけテレビで騒がれたんだ、取材で忙しいに違いないと。

 ……しかし。

「……誰?」

 女の人の声。
 それは、今になってやっと高校生らしくなった様な、とても細い声だった。
 俺は、ゆっくりと振り返った。
 そのまま、じっと二人で見つめあう。

「……久しぶりだな、ことみ」
「……朋也、くん?」
「ああ」

 ことみは固まっていた。
 当然信じられないんだろう、俺がここに居ることが。

「……やっと、思い出したんだ。……ことみのこと」
「覚えていて、くれたんだ……」
「お前の顔がテレビに出ていて、それで思い出した」
「あ……」

 ことみはうつむく。
 テレビに出たという事を改めて聞かされると、照れるようだった。

「……あの時は、ごめん。俺が、お前を守らなきゃいけない筈だったんだ……」
「もう、いいの。朋也くんが覚えていてくれただけで、しあわせ」
「……あのときの……泣いていた事は、解決したのか?」
「え……?」
「あの時、燃やしていた物と、あの男達のこと」
「……うん、解決」

 ことみは、話してくれた。
 両親が、どんな思いで自分に誕生日プレゼントを遺してくれたか。
 本当に大切そうに……。

「そうか……それなら、良かった。庭も荒れていたし、すごく気がかりだったんだ」
「庭は……私は手入れ出来ないから」
「まあ、そうだな」

 そう、言った時だった。

「あれ、岡崎さん?」

 振り返ると、女子高校生。
 瑞菜だった。

「あれ? ここってお前の通学経路だったか?」
「ううん、散歩。こんなところまで来たのは初めてだよ」

 すさまじい偶然だった。

「で、ついでにお父さんも居るけど」
「よお」
「折原さん……」

 こういう場面で先輩と会うというのは、複雑な状況だ……。

「で、岡崎は何でこんな荒れ果てた庭に居るんだ?」
「え、それは……」

 どう言おう、と思った。
 しかし、何も思いつかない。

がさがさ

 回りこんで庭に入ってくる、折原親子。

「あれ、この綺麗な人どうしたんですか?」
「ん……幼馴染というか……」
「友達なの」
「ふぅん……で、何でこんなところで会ってるんですか?」
「ここ、こいつの家」
「え?」

 瑞菜が目を丸くする。
 そりゃあ、こんな家に住んでいると聞いたら驚きもするだろう。

「それなら、この庭はどうかと……」
「私、庭の手入れは出来ないの」
「まあ、結構重労働だし……」
「瑞菜、お前の力でどうにかなるんじゃないのか?」

 折原さんの、一言。

「え、私?」

 瑞菜は驚いた表情で父親に向かって訊く。

「お前以外に誰がいるんだよ。あれ、使えよ」
「人前で使っていいのかな……?」
「別にマスコミがいる訳じゃないし、大丈夫だろ」
「マスコミは完全に追い払ったの。来たらそのマスコミのせいで研究をやめるって言ったの」

 ことみがよく判らない内に太鼓判を押す。
 っていうか、どういう脅しだ。

「……意外に偉い科学者さん?」
「かなり」

 今のやりとりで、本当にやらせようか悩んでいるようだ。

「……まあ、こんなの理解できる筈ないから平気だよな。……やれ」
「えっと、前はどんな庭でした?」
「前? お母さんが居たころは……」

 瑞菜の言葉に従って、昔を思い出していくことみ。
 ……って、何でこんなことになってるんだっけ?

「うん、解りました。では、行きますっ」

 何をどう行くと言うのだ。
 そんなことを思っていると、瑞菜がおもむろに目を瞑った。
 しばらくそうしていると、信じられないことが起きた。

 瑞菜から風が巻き起こったと思うと、そこから景色が変わったような錯覚に陥った。
 いや、違う。
 景色が変わったんじゃなく、芝が綺麗になっていく。
 その風は俺たちを追い越して、花壇や木々の方へ向かう。
 花壇には色が付き、木々は光を通すようになった。
 そして……さび付いたテーブルと椅子は、白く姿を変えた。
 そう、昔見た光景と殆ど一緒だった。

 ……そうだ、俺は以前、ここを三日がかりで綺麗にしたんだったな……。
 色あせた、とてつもなく遠い記憶だった。

「…ふぅ……疲れたぁ……」
「これだけ細かい作業やったの、初めてだよな?」
「ほんとだよ……普段大味な事しかしないから……それ以前に『やれそう』っていうレベルだったんだよ?」

 真新しい芝に、座り込む瑞菜。

「で……何をしたんだ?」
「ん、この間説明したろ、俺の…いや、瑞菜の力について」

 ……ああ、確かに聞いた。
 永遠の世界の話だ。

「今でも使えるんだな」
「現在は有効利用している」
「……私は便利な道具ですか」
「いや、そういう訳じゃない」
「へえ〜、そうですかー」
「親のこと信用してないよ、こいつ」

 やりとりからはぐれてしまったことみに話しかける。

「非科学的なことだったろ?」
「……うん」
「今の知り合い結構変わったやつ多くてさ、この先輩の娘が一番非常識なんだ」
「非常識、って……岡崎さんもひどい」

 瑞菜がつっかかってくる。
 体中で不満を表すかの様に。

「だって非常識だろ?」
「確かに……常識だったらちょっと危ない力ですが」
「いや、すごく危ない力だと思うんだが」
「……まさに、非常識なお父さんらしい力ですよねっ」

 瑞菜に、ことみが近づく。
 無言で近づいてくることみに、瑞菜が少し警戒している。
 ことみが、隣に座った。

「……ありがとう」

 それは感謝の言葉だった。
 自分の知識では理解できない事を、問いただす事もなく……ただ、思い出の庭を作り直してくれた瑞菜に、感謝を述べていた。

「いえ……自分がしたいと思った事ですから」

 そそくさと座り直して、瑞菜はにこやかに言った。








「もう、帰るの?」
「ああ、元気そうで安心したからな」
「そうだ、このことを渚ちゃんに報告しなくてはっ」
「自分でしますから」
「渚ちゃん?」
「ああ……こいつの奥さんだよ」

 折原さんは時々無神経と言うかなんというか、まあ空気を読めない人間だと思う。
 ことみは驚いた顔をした後、すぐに元の顔に戻った。

「そう……あれから二十年近く経ったの。色々……変わったの」
「ああ。それくらい……ずっと忘れてて、ごめんな」
「……うん」
「ん、昔の色恋話か?」
「…だから、二十年近く前の話なんですけど……」
「まあとりあえず、渚ちゃんに報告という事で」
「うーん、弁護に自信ないなあ」

 人のシリアスな場面に、ことごとく介入してくる親子二人。
 非常に迷惑。

「他人の事に一々介入して……逆の立場になったら、遠慮なく介入させてもらいますんで」
「げ」
「もしかして心当たりが?」
「いや、ないと思うが……そんなことがあったとしたら、結構困る」
「まあ、人を呪わば穴二つと言いますし」
「うーん、弁護出来ないなあ」
「おい、こいつの時は難しくて俺の時は出来ないのかよっ」
「岡崎さーん、お父さんが苛めるよぉー」

 そう言って、ことみの方に走り出す瑞菜。

「……いじめる?」

 庇うことみ。

「う……」
「女の子を泣かすのかあー」
「くっ……くそーっ!」

 泣きながら走って去っていく折原さん。
 ……つーか、男が泣きながら走っていくって、みっともないなあ……。

「じゃ、私は父を追いますので」

 そう言って、瑞菜も去っていった。
 本当に、嵐の様な親子だった。


「朋也くん」
「ん?」
「渚ちゃん……大好き?」

 『渚ちゃん』。
 ことみの口からその単語を聞くのは、二度目じゃない気がする。
 ……そう、昔。
 ことみと渚が、友達だった頃。
 …違う世界の頃。

「……ああ、もちろんだ」
「そう……」

 しばらく、沈黙。

「……私は、朋也くんが好き」

 驚く。
 ことみは引っ込み思案な性格だと記憶していたから、いきなりそんな事を言われるとは思っていなかった。

「……でも、渚ちゃんも好きだった気がするの」
「え?」
「会ったこと、無いのに……」

 それは、町の記憶だろうか。
 あの、光の珠のかけらがまだ残っていたのだろうか。

「今度、会わせてやるよ」
「ほんと?」
「ああ。きっと、友達になれるさ」

 友達……か。
 二十五にもなって、そんな会話をすることになるとは……思ってもみなかった。

「お友達に、なれる?」
「ああ。きっとな」

 絶対なれるとわかっていた。
 何故なら、相手はあの渚だからだ。

「じゃあ、また来る」
「明日も、来る?」
「明日は無理だな。仕事がある」
「じゃあ、来週?」
「そうだな……来週は来れるかも知れない」
「じゃあ、また来週」
「ああ、来週な」

 俺たちはそう約束して、別れた。




















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