青い空に言葉を乗せて・エピローグ




 ふと、目を覚ました。
 窓から入る光に目が眩み、手を目にやる。

「ん…?」

 目に、液体が付いていた。

「…あの夢か…」

 何故、今頃また見てしまったのだろう。




 あの温泉旅行から、俺達はずっと一緒に居た。

『また、相変わらずアイスか?』

 終わりの時まで、ずっと。

『うー、そんなこと言う人、嫌いですよ』

 一緒に居る間、どちらも泣かずに。

『どうして逃げるんですかっ』

 別れの時が来るのを忘れる様に。

『そりゃあ、モグラだってハンマーで叩かれたくないからだろ』

 …だけどやっぱり、最期は二人とも泣いていた。
 桜舞い散る中、栞の身体が段々と薄くなってゆく。
 積もりかけた花びらも、すり抜けて地面にその身を委ねる。
 遂に、手を握っている事も叶わず、ただ見守る事しか出来ない。

 無力感が、襲ってくる。

『悲しい顔…しないで下さい』

 栞の口が、そう告げる。
 もう、その声は聴こえてこない。
 聴けなくなった愛しい声。
 栞が、震える手を俺の顔に持っていく。
 触る事は出来ないが、少なくとも俺は触れられた気がした。

『二人とも、約束…破っちゃいましたね』

 栞が微笑む。

『名雪さんに、針千本…呑まされちゃいます』
『今は…千五百本だぞ…』
『VIP待遇で五百本は免除です』

 声に出なくても、気持ちが伝わってくる。
 でも、その『心の声』も……身体と共に、消えた。




 それから丸一日、俺は街を行く当ても無く彷徨った。
 心配した名雪が、倒れそうになりながら無心に足を前に出している俺を見つけて、介抱してくれた。
 あの時もし、名雪が見つけてくれなかったら、どっかでのたれ死んでいたんだろう。

「祐一、起きたの〜? ゆうい……どうしたの?」

 名雪が俺の部屋へ入ってきて、俺と目が合った途端、心配そうな顔つきで話し掛けて来た。
 俺が涙を流している事に対してだろう。

「…昔の夢だ」
「…栞ちゃんのこと?」
「ああ」

 とりあえず、ベッドから起きて寝巻きの上着に手をかけた。

「着替えるから出ていてくれ」
「祐一、まだ…」
「名雪」

 名雪の声を遮る。

「悪い…少し、独りにしてくれるか…?」
「祐一…」

 名雪から目を背ける。

「…駄目だよ」

 名雪が、後ろから抱き付いてきた。

「栞ちゃんと会えなくなっちゃったのは、とても悲しい事だと思う。でも、わたしは、そうやって苦しむ祐一を見たくないんだよ。もう、あれから七年も経つんだよ? それとも、やっぱりわたしじゃ…」

 背中越しに、名雪が泣いているのが判った。

「…名雪」

 名雪が、更に抱きしめる手は力を込めた。

「悪かったよ。ちょっと今日は、随分とはっきりした夢を見たんだ…。だから…」

 上から、名雪の手を握る。

「お母さーん、お父さんまだ寝てるの〜?」

 下から、子供の声が聞こえる。

 …そう、俺達の子供だ。

「あ、呼んでる…。じゃあ、着替えてから来てね」

 涙を拭いながら、名雪は部屋を出て行った。
 ぱたぱたという音の後に、『え〜っ!』という大声が聞こえた。

「…ぐずぐずしていられないな」

 今日は日曜日。
 五歳になる息子と名雪、三人で遊園地に行く予定だ。

 あれから、俺は部屋で泣いている事が多かった。
 前回泣かなかった分、今回は倍の涙を流した。
 名雪は、その時何も聞かずに、傍に居てくれた。
 ただ、ずっと、傍に…。

 それから一年、俺達は結婚した。
 そんな俺達を、香里は祝福してくれた。
 …自分でも、こんなに早く結婚するとは思っていなかった。
 栞と別れてから一年しか経っていないのに、今度は名雪と…。
 少なからず、自分に嫌悪感を抱いていた。

『まあ、そんな事もあるわよ』

 香里の言葉だった。

『あたしも似た立場だから、なんとなく判るわ。今の貴方には、支えてくれる人が必要よ。それくらい、あたしよりずっと近くに居た栞も判ってる筈よ』

 香里は、名雪に言えない事について相談に乗ってもらったりしていた。

『でも、栞の事を忘れたり、名雪をその事で苦しませたりしたら許さないからね』

 彼女は、笑って言った。

「お父さん! まだ!?」
「…行くか」

 丁度着替え終わった俺はドアを開けて、廊下に出ようとした。

『行ってらっしゃい』

 思わず振り返る。

 高校時代から相変わらずの、俺の部屋。
 見回すが、特に変わった様子はない。

「……」

 今の、声は…。

「お父さんっ!」

 下から怒鳴り声が聞こえる。

「祐一〜。もう限界〜。暴れだしちゃう〜」

 もう一度、部屋を見る。

 …そうか、だから…。

「…行ってくる」

 そう言って、きびすを返す。

「今行く!」

 俺は、階段を駆け下りた。




『奇跡は起こらなかったけれど、とても、幸せでした。…さようなら…』

 誰も居ない部屋の中で、彼女は微笑み、消えた。




「…栞」
「え?」

 わたしは、靴を履いている祐一を見た。

「…お父さん?」

 祐一は、泣いていた。

「…挨拶くらい、面と向かってしろよ…。そんな奴、嫌いだぞ…」

 ぽつりと呟いた一言。それは、他人には話せないほど、重い言葉だった。

「どうしたの、お父さん…?」
「…いや、何でもない」

 祐一はそう言うと、車に乗り込んだ。

「さ、行きましょうか」
「ねえお母さん、何でお父さん泣いてたの?」
「…詳しくは判らないけど。でも…もし話したい事なら、お父さんの方から話してくれる筈だよ」

 そう言って、わたしは空を仰いだ。
 雲一つない、青い空。

「栞ちゃん…お元気で」

 わたしの言葉は、空に吸い込まれていった。




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後書き

 あー…遅れました。すみません。


 この作品は自分の初めての作品です。『何かのSSを書く』と思ったのも、この話でした。
 如何だったでしょうか?
 もし読んでくれた人たちに何かが残ってくれたら嬉しいです。

 それでは。

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