初夏にはにはまだ早い6月の休日。今日は仕事が忙しくて買い物が出来ない秋子に代わって、名雪と祐一の2人は商店街で買い物をしていた。
ちなみに、6月と言っても、東京で言えばまだ4、5月位の気温だろうか。
まだ、半袖では肌寒い位の気温である。
「…おっ、これは…名雪、ちょっと待ってろ」
「え?」
とある店の前で祐一が急に立ち止まった。そして、一方的に言うと返事を待たずに中に入って行ってしまった。
その店は、装飾品店。
さすがに、『待ってろ』と言われているので、名雪はその場を離れることができなくて、素直に祐一を待った。
「待たせたな」
待つこと暫く、祐一が店から出て来た。
手には、店で買ったと思われる帽子があった。
「さすがにこの街も、夏は暑くなるだろうからな。やっぱり必要だろ?」
「え?」
そう言って、名雪に買ったばかりの帽子を手渡した。
名雪の好みそうな、猫のプリントの付いた帽子だ。
「わっ、ありがとう! 祐一」
帽子を受け取った名雪は、にっこりと微笑んで礼を言った。
そして、早速被ってみる。
「どう、似合うかな?」
「ああ、なかなか似合うぞ」
素直な名雪の反応に少し照れたのか、そっぽを向いて答える祐一。
名雪はこんな祐一が好きだ。たとえ、親友の妹と付き合っていても。
ちょっと商店街から外れた場所にある写真屋に、祐一と、帽子を被った名雪は向かっていた。
これがおつかいの最後の買い物だった。
つい最近行った3人の小旅行のフィルムを、そこに預けてあるのだ。
なぜか、祐一が全ての荷物を持っている。…まあ、それはしょうがないのかも知れない。
「ねこ〜ねこ〜…」
「こら、あんまり車道に出て、車に轢かれても知らないぞ」
さっきからふらふらと危なっかしいので、祐一が名雪に忠告する。
「大丈夫だよ〜…ねこ〜」
「ま、大丈夫だろ」
…端から見て、とても大丈夫そうには見えない。
祐一は、呆れながらも先頭を歩いていく。
この辺りは、歩道が極端に狭いのに車の交通量が多くて、かなり危なっかしい。
その中、祐一と名雪は、前後に並ぶようにして歩いていた。横に並ぶと、車と接触しそうになる。
そして、事件は唐突に起こった。
急に吹いた強い風に名雪の帽子が宙を舞い、車道を挟んで反対側の歩道に落ちたのだ。
(あっ、帽子!)
左右の確認もせずに、名雪は駆け出した。商店街の近くでは出すはずの無い速度で、車がすぐ近くまで迫っている事に気付かずに。
「! 名雪!」
名雪の前を歩いていた祐一は、名雪の行動に気付くのが遅れた。
振り向いた祐一が見た物は、帽子に向かって駆ける名雪と、速度を落とす様子も無く迫ってくる車だった。
「バカッ、何やってるんだ!」
小さく叫んで荷物を放り出して、名雪に向かって祐一は駆けだした。
祐一の声に名雪が足を止め、後ろを振り返る。
「ゆうい、わっ!」
その直後、名雪は急に身体を襲った衝撃に、なす術もなく歩道に倒れこんだ。
その刹那ー
どん
鈍い音がした。
祐一に突き飛ばされて歩道にしりもちをついた名雪が見たのは、自分の目の前で車に跳ね飛ばされ、宙に浮いている祐一の姿だった。
どさっ
そして、遠くで落下音。
名雪は金縛りにあったかのように全く動けなかった。
「…祐一!」
やっと動ける様になった名雪は、帽子に目もくれずに祐一に駆け寄った。
「祐一! 祐一!」
身体を揺するが、何の反応も返って来ない。
「祐一!?」
両手を下に敷いて、祐一を抱き起こす。すると、手が暖かい液体に触れた。
「…えっ?」
再び祐一を寝かせ、自分の両手を見る。
その手は真っ赤に染まっていた。
それは紛れも無く、祐一の血液だった。
「や…やあぁぁぁ!!!」
名雪の悲鳴が、商店街の外れに響き渡った。