「……そう言えば、姉さんにまだ連絡してなかったわね…」

 椅子に座り直して祐一の顔を見ていた秋子は、不意に祐一の両親に連絡を取っていなかった事を思いだした。

「祐一さん、あなたのご両親に連絡をしてきますね」

 席を立った秋子は、公衆電話を使用するために部屋を出た。


「…ここだけなのね」

 散々探して、やっと秋子は電話の前に辿りついた。
 この病院は五階もあるのに玄関にしか公衆電話が無くて、他の病院と比べたら極端に少なすぎる。そのために、探すのに相当時間がかかってしまった。
 受話器を持って、テレホンカードを差し込む。電話番号を押そうと思ったところで、動きが止まった。

(姉さんに、なんて言うの?)

 あまりにも、親に話すには唐突すぎる話だと思った。
 「祐一さんが車に跳ねられて、明日死ぬそうなの」とでも言えば言いのだろうか。あんまりな話だろう。

「………………」

 秋子はしばらく思案していたが、妙案が一つも浮かばなかった。

「…こうなったら、ありのままに話すしかなさそうね…」

 ピ…ポ…パ…ポ…

 ボタンをゆっくりと押していく。
 その間に、秋子は言うべき言葉を少しずつ整理していった。
 そして、最後のボタンを押す。

 ………トゥルルル…トゥルルル…トゥルルル…

 しばらく微動だにせずに待つ。
 秋子には、その一秒一秒がとても長く感じられた。
 ガチャッ
 不意に、受話器を取るような音が聞こえた。

「はい、相沢です」
「あ、ね、姉さん?」
「ただいま留守にしておりま」

 がちゃ

 叩きつけるようにして受話器を戻す。
 全ては、ただの徒労に終わった。そう、今は祐一の両親は出かけているのだ。
 後秋子にできる事は、祐一のそばにいることだけだった。



「えぐ…ぐす…」

 祐一は、一人で泣いている子供に出会った。見るからに年下の女の子だ。
 噴水のある、どこかで見たことがある場所。そして昼時の、真冬。
 その子の他にそこには誰もいないようだ。
 周りに積もった雪が更に寂しさを強調している。
 その女の子の足元には、雪の塊が落ちていた。

「どうしたんだ?」
「えっぐ…うぐっ…」

 しかし、女の子は泣いていて返答しない。

「おれ、相沢祐一って言うんだ」
「えぐっ…ひっく…」
「なんて名前なんだ?」

 会話にすらなってない。

「っぐ…り…」

 女の子が、小さく言った。

「…り?」
「ぅぐっ…し…おり」
「しおりっていうのか?」

 こくん

 小さく肯いて応える。

「苗字は?」
「えっく…えぐっ」
「言えるか?」
「みさ…えぐっ…か」
「みさか…でいいのか」

 こくこく

 今度は二回肯く。

「よし、しおり。なんか買ってやるから、欲しい物。言ってみろ」

 祐一は泣いている女の子を見捨てる事が出来ない。
 運良く近くに屋台が開いている。それに、財布の中もまだ残っていた。

「…ほん…と?」
「ああ」
「…アイス、クリーム…」

 ただでさえ寒いのに、栞はとんでもない事を言いだした。

「アイスクリーム? どうせなら、暖かい物食べようぜ」
「…うん。分かった」
「よし、そうと決まったら買いに行って来る」

 祐一は財布を握りしめてかけ出した。


「おまたせ」

 祐一は焼きそばを二つ持って、栞の所まで戻って来た。
 その頃には栞の涙も止まっていた。…赤い目が痛々しいが。

「はい。これがしおりの分だ」
「…ありがとう…」

 もう一つの焼きそばを手渡す。

「さあ、早いうちに食べようぜ」

 祐一は焼きそばのパックを開ける。
 中から香ばしいソースの香りがする。
 栞の方も、パックを開けて割り箸を割っていた。

「いただきます」
「…いただきます」

 そして、二人とも食べ始める。

「うまいか?」
「…うん…でも、いつもより、しょっぱい…」
「そりゃ、泣いてたからだ。元気な時に食べると、きっともっとうまいぞ」
「…うん、そうだね」

 栞は、こくんと肯いた。

「……ところで、なんで泣いてたんだ?」
「…ゆきだるま…」

 そんなことだろうと想像はしていた。足元に転がっていた雪を見た時から、そんなことが浮かんでいたのだ。

「落としちゃったのか?」

 こくん

「なら、おれも手伝ってやる。もう一回作れば良いだろ?」
「いいの?」
「ああ。それ位なら手伝うぞ。それとも、いやか?」

 ふるふる

「ううん、うれしい」
「よし、どうせなら、十m位の、大きいやつ作ろうぜ」

 ふるふる

「…そんな大きいの作れないよ」
「作れる作れないよりも、作ろうとする気持ちが大事なんだ! …と思う」

 さすがに十mもの大きさになると、気持ちだけではどうにかなるものではないだろうが。

「……ぷ、くすくす…」

 いきなり栞は吹き出す。
 その表情を見て、祐一の顔は笑顔になった。

「…やっと笑ったな」

 初めて見た、栞の笑顔だった。

「―さあ、早く雪だるま作るぞ」
「十mの?」
「作れるわけないだろ」
「やっぱり、そうだよね…」

  栞は寂しげに微笑む。

「なんだ、作りたかったのか?」
「う、ううん。違うよ」
「なら、とっとと作るか」
「うん」

 二人で雪玉を転がし始めた。


 それを機に、祐一は毎日この公園で遊ぶ事にした。



「ん…」

 祐一は、ゆっくりと目を開けた。
 真っ白な布団に寝ている。しかし、祐一の部屋の布団ではない。しかも、ぴっぴっと定期的に電子音を出す機械が、祐一の周りに配置されている。

「ここは…うぐ!?」

 体を起こそうとして、体を走る激痛にまた横になる。
 しかし、今ので状況を飲み込めた。

(車に轢かれた…のか)

 今祐一のいる場所は、病院だった。だから機械が周りに配置されているのだろう。機械が周りを囲むほどひどい怪我なのだろうか。

(……誰も、いない? 名雪は、無事なのか…?)

 そう、祐一の周りには、秋子も、名雪もいなかった。
 何か用事が出来て、しばらく席を外しているのかもしれない。
 祐一は、小さく息を吐く。寝ているだけでも体中に鈍い痛みが走る。独り言を喋るとなると、なおさらだ。まあ、車に引かれたのだから当たり前なのかもしれない。
 今やっと気付いたのだが、口にプラスチックのマスクが被せられていた。よくテレビで見るものだが、まさか自分が被せられるとは思ってもみなかった。
 その事を特に気に掛けずに、祐一は考え事をする。

(…しかし、さっきの夢は…?)

 祐一は、いつもは見た夢を殆ど覚えていない。
 なのに、今回の夢は、あまりにもはっきりしていた。

(八年前の夢か…覚えてるわけ無いよな…)

 祐一は、今初めて気付いた。
 栞とは、あゆと遭うずっと前に会ったことがあることに。

(そう言えば…名雪に怒られたっけな)

 毎日毎日、名雪に構わずに遊びつづけていた事を思いだす。
 確か、自由な時間があれば、大体栞と遊んでいたような気がする。
 そう考えると、今まで思いださなかったのが不思議だ。
 とすると、七年前、八年前と連続で名雪に構ってあげなかったのではないか。

(それなのに、名雪は七年前の事しか言わないんだからな…)

 まだ、七年前の最後の方の出来事が思い出せない。しかし、さらに記憶を辿れるようになって嬉しかった。

「ただいま帰りました、祐一さん」

 不意に、扉の方から声がした。
 目線だけを向けると、そこに秋子がいた。

「少しだけ、遅くな……」

 秋子が祐一を見たとたん、声を詰まらせた。

「ゆうい…ち…さん」

 両手で口と鼻を覆って、隠しきれない驚きを表す。

「秋子…さん」

 秋子が、急に祐一に抱きつく。祐一をいたわるように、優しく。
 マスクを被せられているせいで、祐一の声はくぐもって響く。

「秋子、さん?」

 いつもは名雪が飛びついて来て、秋子が後ろで微笑んでいるような状態のはずなのに、今は秋子が祐一の胸に顔を埋めていた。

「泣いて、るんですか?」
「う…ぐ…当たり前、ですよ…」

 うずめたまま秋子は答える。
 初めて見る秋子の姿だった。

「つ!?」

 祐一は、右手で秋子の頭を軽く撫でようと思い右手を上げようとした。が、激痛に顔をしかめるだけという結果に終わった。

「! 大丈夫ですか?」

 秋子が心配そうに祐一の顔を覗き込む。
 それに対して、祐一はゆっくりと肯いた。そろそろ、話すだけでもつらくなってきたようだ。

「…早速…」

 二人を呼んで来ましょうか? と言いかけて秋子は口をつぐんだ。もし、二人に正直に話したら、もう秋子と祐一が話す時間は無くなるだろう。なら、少しの間だけでも祐一を独占しても良いのではないか。どうせ二人も、何時間かすれば戻って来るだろう。その時、「祐一さんが今起きた」と言う話をすればいいのではないか。

「どうしたん、ですか?」

 心配そうな祐一の顔。

「いえ、二人を呼んできますね」

 一方的にそう言うと、祐一の返事も待たずに部屋を出て行った。

(そう、これで良いのよね?)

 自問自答してみる。
 祐一が死ぬ前に、祐一と2人で話ができただけでも、十分だった。
 秋子は、二人に言われていた通り、屋上に向かった。


「名雪、栞ちゃん」

 秋子が、屋上への扉を開けながら言った。
 近くの壁に寄りかかっていた二人が、ゆっくりと顔を上げた。

「祐一さんが、目を覚ましたわよ」
「っ!?」
「え!?」

 二人の小さな息を飲む音が聞こえた。
 そして、栞がいつもの運動能力を思わせない速度で走り出し、あっという間に秋子達の視界から消える。
 しかし、名雪は座ったままだった。

「どうしたの?」
「お母さん…わたし、どんな顔して祐一に会えばいいの?」

 名雪の質問。これは、名雪がずっと考えていて、一度も答えが出なかった問題だった。

「普通に、明るく話しかければいいのよ」
「え?」
「祐一さんは、名雪を助けるために、自分から身代わりになったのよ。なら、元気な姿を見せてあげなさい」

 秋子は、優しく微笑んだ。
 その表情を見て、名雪の顔も笑顔になる。

「…うん、そうだね。それじゃ、わたし行くよ」

 名雪も立ちあがり、栞の後を追って走り出した。

「やっぱり、幸せ者ですね」

 小さな声で、秋子はつぶやいた。



「祐一さん!」
「祐一!」

 二人が同時に病室に駆け込んだ。

「…栞、名雪…」

 祐一が二人の方をゆっくりと見る。
 栞は、いきなり祐一に抱きついた。

「が、ぐ、や、やめろ!」

 痛みに苦しむ祐一。

「あ、ごめんなさい!」

 急いで離れる栞。

「…頼む、栞。マジで今、やばいんだ」
「…ごめんなさい、うれしくて、つい…」

 えへっ、と軽く笑う。

「名雪、怪我は…無いか?」
「…うん、祐一のおかげだよ」

 廊下の奥を向いたまま、名雪が小さく答える。

「秋子さん、は…?」
「え…? いませんね」

 栞が辺りを見回すが、一緒に来ていると思っていた秋子はいなかった。

「わたし、見てくるよ」

 ずっと廊下を見ていた名雪は、そう言うと、振り向きもせずに走り出した。



「…えぐ…ぐす…」

 名雪は一人、病棟の隅で泣いていた。
 分かっていた。祐一が栞の事を好きな事は、理解していたつもりだった。
 しかし、祐一が栞を先に呼んだ事が、とても悔しくて、悲しかった。
 つい最近まで、名雪が祐一の中で一番仲の良い女の子だった。だというのに、祐一にとって栞の方が今は大事な存在なのだ。
 つい最近会った、名雪はあまり知らない女の子の方が。

「名雪」

 不意に、頭上から声がした。

「…お母さん」
「だめよ、あなたは二人の仲を応援したのよ」

 悲しそうに秋子は言う。

「…でも、駄目なんだよ。やっぱり、栞ちゃんには、負けたくない気持ちが…今もあるんだよ…」

 丸まったまま、小さくつぶやく名雪。

「だめだよ…お母さん」

 顔を膝に埋めて泣く名雪。

「名雪…」

 秋子は、名雪の傍に座りこんだ。

「そうね…その気持ち、分かるわ…」

 二人は、ずっとそこに座り込んでいた。





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