変わる人、変わっていく町、そして幸せ
第一話 折原瑞菜
瑞菜は全速力で走っていた。弁当を忘れた上、まだ近道を覚えるほど通ってもいない。
かなり、遅刻ぎりぎりだったのだ。
山を見る。
ここを突っ切れば随分近道なのだが、山を登るとなると気がめいる。
ちなみに、浩平たちは公園を経由して近道していた。
「…強引に近道っ」
その瞬間、自然に何かが広がっていく。
見えない世界。
刹那、瑞菜の姿が消えた。
と思ったら、今度は山の上にいた。
下を見下ろす瑞菜。
「うん、久々に使ったけど、結構便利」
この世界に居着いたといっても、瑞菜は「浩平の力」そのものといえた。主を自分の中に引きずり込むほど強大で、自立してしまった力だ。
普段、瑞菜はこの力を使う事はない。
しかし、たまにこうやって使ってみたくなる時があるらしい。
その力も、「空間の創造と指定空間の支配」だから結構洒落にならない。未来のポケットも作れれば、消滅させる事も出来る。
なんとも無茶苦茶な力だった。
しかし、そんな事は瑞菜にとって興味がなかった。
特に破壊については、孤独だった事もあり嫌っている。
「後は坂道下るだけ〜」
思いっきり並木道を下る。
その身は軽く、ふわりふわりと飛び跳ねながら進む。
実際、まともに走り続けたらいつ転んでもおかしくないほどの坂だった。
まず止まれまい。
「えいっ」
一っ跳びでフェンスの縁に手をかける。
一般的に見れば、異常な運動能力の持ち主に見えるそれは、さっきの力を応用したものだった。
しかし、元々線の細い体つきと長くたなびく髪からか、妖精の様にも見えた。
フェンスには手だけ触れ、スカートを気にしながらそのまま降りた。
「よし、間に合う間に合う」
「始業早々、裏道から登校か?」
勢いに乗った足が、ずざざっと音を立てて止まる。
止まらずに走り抜けても多分平気だろうが、瑞佳譲りの性格がそれを妨げた。
「えっと、あの……」
「一応、名前だけ聞いておこうか」
「あ……お、折原、瑞菜……です」
「…折原」
「はい」
若い教師は何か引っかかったような表情で瑞菜を見る。
それも、すぐ合点のいった様な表情に変わる。
「……ああ、あいつの子か」
「え?」
「さあ、早く行かないと遅刻するぞ」
「あ、はい」
瑞菜は駆けていく。
若い教師だけが、その場に残った。
「……あの小さかった子が……大きくなったもんだ」
相沢祐一は、そう呟いた。
「ふう、良かった、物分りのいい先生で」
瑞菜はほっと息をついた。あれが怖い先生だったら、結構面倒だった。
ちなみに、やったこと自体が悪いとは少しも思ってない。ここが、浩平譲りの感覚だった。きっと、瑞佳だったらずっと気にした挙句謝りに言っていただろう。
「さあて、今日から高校生だっ」
そのまま、教室に向かって廊下を走っていった。
……そして、怖い先生に捕まった。
放課後、瑞菜は職員室に呼び出されていた。
今のご時世、たかだが廊下を走ったくらいでそうひどくは怒られないだろうと思っていた。
しかし、実は瑞菜は目を付けられていたのである。
何せ、養子といえども折原浩平の娘だというのだから。
九年……それは、教師が一つの学校に留まっていられるおおよその限界である。
奴の居た頃、新任の教師はかなり手を焼かされた。その娘が、また自分の在任中にやってくる。それはかなりの衝撃だったのだろう。
早速その教師から警戒を呼びかけられていたのである。
そして……瑞菜が見つかったのは、その教師だった。
(ついてないなあ……)
いっその事、空間移動で逃げてしまおうかとも思った。
現に瑞佳たちに怒られたときはそれで逃げる事もしていた。
……しかし、今回は他人である。それをしたら、どう言い訳をしていいか判らない。
どうやら社会的には認知されていない力の様なので、おいそれと使うわけにもいかない。
「……という訳でだな、以後気を付ける事」
やっと説教が終わった。
しかし、瑞菜にとっては目を付けられたままな訳だから気分が悪い。
その原因が、浩平なら。
「はい。心配しないで下さい、私は長森瑞佳の娘ですから」
品行方正な母の名前を出しておいた。
瑞菜にとっては浩平も大切だけど、この場で反論していては逆に浩平にも悪評が及ぶ。
そう考えた先の、方策だった。
「……あの子も、どうしてあんな奴と一緒になったんだか……」
この、教師の言葉にはかちんと来た。
浩平だけでなく、瑞佳の事まで暗に貶されている。
冗談という雰囲気ではない。
「……あ」
「まあまあ、折原には、私からもう一度言っておきますよ」
あの、と言いかけた。
しかし、それは男の声で遮られた。
……さっきの若い教師だった。
「ああ、相沢先生。……そうか、あなたは折原たちと同期でしたね」
「ええ、三ヶ月程度でしたが」
「では、後はよろしくお願いします」
目で何か伝えている事は判ったが、瑞菜には読み取れなかった。
人の思いまでは、力は及ばなかった。それは力の方向が、時を止めるという所にあったからだろう。
……まあ、読めたとしてもそこまでするほど興味を持つものではなかった。
それは、この相沢という人間が信頼に足る人間だと直感で思っていたからだった。
教師が去った後、相沢が話しかける。
「また、会ったな」
「……どうも」
「なんだ、そんなに警戒するな」
別に警戒しているわけではなかった。ただ、さっき両親を馬鹿にされたのが尾を引いているだけだった。
それほどに、あの二人を貶される事は、瑞菜にとっては許しがたい事だった。
「あのまま放っておくと、お前が更に目を付けられかねなかったからな」
「あ……」
そういえば、そうだ。
その前までは、気をつけようと思っていたのに。
「……ありがとうございます」
「いやいや、気にするな。旧友の娘だしな」
「あ……父か母と、面識あるんですか?」
「そりゃあな。……ただ、会ったのは数度だけだ」
「え?」
「クラスが違ったからな。それでもかなり印象に残る二人だった」
「それは……そうでしょうね」
それについては、否定する言葉が無い。
考えるほどに不思議な二人なのだ。
瑞菜がそう考えていると、相沢が口を開く。
「さて、ひとしきり話も終わったとこで、家庭訪問させてもらいますか」
「え?」
「一応、『早速教師に世話になりました』ってな」
「えええっ?」
「さ、行くか」
ずるずるずる。
……瑞菜は思った。
(この人は、お父さんと同じくらいには……強引な人だ)