白い世界に言葉を乗せて 第一話










11月1日 月曜日


 十一月に入った。
 冬の色も濃くなり、この街では雪すら珍しくなくなってくる。単刀直入に言うと、非常に寒い。最低気温は氷点の近くを前後し、寒がりには辛い季節となってきていた。
 そして、典型的な寒がりが…ここに一人。

「…どうしてこの街はこんなに寒いんだ」
「北国ですから」

 美坂栞は、恋人が吐いた弱音とも取れる言葉をいともあっさりと返す。
 当の相沢祐一は栞の言葉が耳に入っているのかいないのか、ただ大仰に震えていた。

「だらしがないですよ。去年も寒い中アイスを食べたじゃないですか」
「…俺は食う前も食った後もぶるぶる震えてたぞ」
「そうでしたか?」
「ああ、そうだ」
「そうだったんですか……」

 何故か栞がしゅんとなる。
 …というか、目の前で思いっきり彼は寒がっていた筈だ。…胃腸薬も請求してたし。

「……」
「……」
「…いや待て、なぜそんな事でこんな雰囲気が暗くならなきゃいけないんだ? というかそもそも俺は悪くないだろう」

 状況の急変についていけず、困惑する祐一。
 だが、暫くすると平然として顔を上げ、祐一を見てにこっと笑った。

「なんとなく、です」

 …多分、確信犯だ。そうに違いない。
 祐一はそう断定した。

「…こっちは困る」
「まあまあ」
「はぁ……たまには放課後どこかに行こうと思ったら、その矢先にこの仕打ちか…」
「えっ?」

 成績のせいで推薦が取れなかった祐一は、当然受験勉強をせざるを得ない。従って二人にとっては、この朝の登校時間も結構貴重な時間だったりする。デートなんて、一月も前の話だ。
 だから当然、栞は鬱屈していた訳で…祐一のこの言葉はかなり重大なものだった。

「…勉強は大丈夫なんですか?」
「たまには遊ばないと腐る」
「腐りませんよー、生き物ですから」
「生物(なまもの)だけどな」
「読み方違います…もしそうだったら世界中がナマモノで埋まってるってことじゃないですか」
「そういう事になる。これから生ごみの日は気をつけよう」
「生でも祐一さんはごみじゃないので安心してください。…それよりも、本当にデートしてくれるんですか?」

 祐一が繰り出すいつもの冗談を早々と受け流すと、自分にとって重要な話題に替えた。

「…デートって言うな」
「何でですか? 私たち恋人同士じゃないですか」

 当然のこと、と事も無げに言う栞。
 …だが、祐一にとってそれは…。

「…いや、その…そう言われると恥ずかしい」

 栞と恋人同士なのは別に隠すことじゃない。
 だが、祐一にはそれをはっきり口にする事に対して「照れ」があった。
 …もう半年も経つし、普通なら慣れるものだが。

 祐一がそっぽを向いて、それを見て栞が笑って…そんな事をしている内に、二人は昇降口に着く。

「じゃあ放課後、校門で」
「あ、祐一さん」
「ん?」

 祐一としては、さっさとほとぼりを冷ましたかったのだが、栞がそれを引き止めた。

「今日は折角ですから、私服に着替えて行きましょうよ」
「何でだ?」
「暫く制服姿しか見てませんから」

 久々に出来る事となったデートを、いつもと同じように過ごしたくはない。
 栞は、そう思っていた。

「ん…そうだな。じゃあ、一時間後に駅前で」
「はい」

 そう言って、二人は各々の教室へ向かった。






「ここに来るのも久々ですねー」
「ん、そうだな…九ヶ月振りか?」
「一月振りです」
「…いや、この雪景色は九ヶ月振りだろ」
「えー、なんですかそれ」
「ちょっと独自な発想をしてみた」

 昨夜の雪が少し積もり、真っ白な公園。
 とても印象が強く、その後姿を消してしまっていた、雪の公園。
 だからこそ、祐一は「九ヶ月振り」と言ったのだが…。

「それにしても、改めてみると…変わらないな」
「祐一さん、去年と今年の景色は違いますよ」
「…そうか? 俺には『懐かしい』という感情しか湧かないんだが…」
「…それでも、去年の雪景色とは違いますよ」

 祐一は、栞がやんわりと何かの意思を示していることに気付いた。
 顔は微笑んでいるが、なんとなく違和感を覚える。

「どこが?」
「一年経って今私たちが見ているこの風景は、何もかも違うんですよ」
「……?」
「噴水の水も、積もってる雪も、私も、祐一さんも。みんな、一年前とは変わってます」

 何かに真剣な栞。
 平然と見せながらも、どこか焦っているような雰囲気。
 まるで、あの冬の時の様に…。

「…そうだな…色々変わった」
「でしょう?」
「ああ」
「…ところで、今のドラマ…」
「そうだな」

 栞が言い終わらない内に、祐一がぐしぐしと乱暴に栞の頭を撫でる。
 首をすくめる栞は、さながら小動物の様に見える。

「わっ、髪がぼさぼさになりますっ」
「結構頭撫でるのって気持ちいいんだよな」
「なんですかそれ……くしゅんっ」

 抗議する途中で、栞がくしゃみをする。

「ん? 大丈夫か?」
「…ええ、大丈夫ですよ。全然平気です」
「本当に平気なのか?」

 祐一が心配そうに声をかける。
 この雰囲気――周りの寒さも手伝って、不安が一気に押し寄せる。

「はい。……多分、この寒さで身体が思い出してるだけなんじゃないでしょうか」
「……」

 しかし、ストールを胸元に手繰り寄せる仕種はとても弱弱しかった。
 栞の病気は結構長かったはず。確かに最後の季節は寒かったが、『思い出す』なんて事があるのか。
 …不安は拭えない。

「本当に、大丈夫なのか?」
「しつこいですねー。大丈夫ですよ、ほら」

 そう言って栞は一歩先に進むと、くるりと回ってみせる。ひらりと舞うストールが、とても印象的だった。
 だが、それは…元気以上に儚さを強調していた。

「…ね?」
「…栞がそう言うならいいんだが…」

 その日は、早めに公園を出て百花屋にいた。






 家に帰って夕食を摂った後も、俺はずっと考えていた。
 栞の言葉を信じたいと思う。…だが、俺にはあの公園で栞が見せた仕種がどうにも頭から離れなかった。

「…あれから、もうすぐ一年か…」

 そんな事、全然考えもしなかった。
 ひたすら、勉強と栞のことだけ。その二つだけしか、三年に上がってから気にしたことは無いと思う。
 まあ、その割には栞に寂しい思いをさせたと思う。
 だからこそ、確実に大学に受かってやる。

コンコン

 突然叩かれる部屋の扉。

「祐一、入ってもいい?」
「…ん、名雪か。勝手に入ってくれ」
「うん」

 そんなやりとりがあって、名雪が入ってきた。
 別に従兄妹なんだから気にする必要は無いと思うんだが…名雪に取ってみれば全然そんな問題じゃないらしい。

「どうした?」
「あ、勉強で解らないところがあるんだけど…」

 そう言われても、既にベッドでうつ伏せになっている俺にはそんな気は起こらない。…栞のことで頭が一杯だし。
 …だけど、招き入れておいて放っておくのも何だか悪い。

「…どこだ」

 俺は、のそりと起き出した。

 その時、一瞬強く眩暈を感じた。
 少し、ふらつく。

「祐一、どうしたの?」
「…いや、なんでもない」

 …嫌な予感がした。




――その嫌な予感は当たっていたのだ。

 何故なら…栞はその二週間後、入院したのだから。










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