青い空に言葉を乗せて 第四話
「栞、行こうか」
そう言って、祐一は栞と共に雪の街を出た。
「わくわく、しますね」
「そうだな」
「祐一さんとは初めての旅行ですね」
「そうだな」
「生きている内に…一緒に行きたかったですね」
「そうだな」
「祐一さん、『そうだな』ばかりです…。もっと話しに乗って下さいよ」
「…栞に身体がある内に、連れてきたかったよ」
「…それ、どういう意味ですか?」
「別に深い意味はない。行きたかったけど…時間も栞の体力も無かったな」
「…そうですね」
沈黙が流れる。
「…祐一さん」
「何だ?」
「私を好きになって…後悔、していませんか?」
栞が真剣な目で祐一を見る。
「…してたら、誰が幽霊になってまで温泉に誘うんだよ」
「…ありがとうございます」
祐一の顔は、赤かった。
駅を出て、バスに乗り二十分、そこから三十分の距離に、その旅館はあった。
しかもその旅館への道は長い上り坂、いわゆる山道で、舗装こそしてあるものの旅館が小さいので送迎バスも出ていない。
「…幽霊でも疲れるんだな」
息があがって来た栞を見て、祐一が漏らした。
「あ、今日は調子がいいから、触る事も出来ますよ」
「何故それを早く言わない」
「驚かせようと思って」
「こんな時に言われても驚きは半減だ」
「じゃあ、どんな時がいいんですか?」
「普通にゆっくりしてる時にしろ」
「…何もしませんか?」
「しない」
「本当ですか?」
「あのなあ、したら…」
そこで、祐一は言葉を詰まらせた。
「したら…どうなんですか?」
「…歯止めが利かなくなるだろ」
「そうですね」
重苦しい空気に包まれたまま、二人は山道を歩いていた。
「栞」
「あ、はい、なんですか?」
「おぶってやろうか?」
栞は一時、祐一の言葉を理解できなかった。
「え、ええ〜!?」
「いいから、背中におぶされよ」
「は、恥ずかしいです…それに、私もうそんな歳じゃありません!」
「他の人には見えないだろ。歳なんか関係ないぞ」
「あります!」
「…男って結構気にしないもんだぞ」
「…おんぶされる歳、ですか?」
「それもあるが…体重とか」
「う…」
「特に栞は軽いから大丈夫だぞ」
「女の子に体重の話をするなんて失礼です! そんなこと言う人…」
「嫌いなのか?」
「う…」
「どうなんだ?」
「うー…好きです…」
「じゃあ、おぶされ」
「えぅー、わかりました…」
栞は渋々祐一の背中におぶさる。
「よいしょ」
栞は、すごく軽かった。
まるで、空気の詰まった袋の様な軽さだった。
祐一は、『背負う』と言った事を後悔した。
「…祐一さん?」
その言葉にはっと気が付く。
どうやら暫くぼーっとしていた様だ。
「大丈夫ですか? やっぱり降りましょうか?」
「…いや、大丈夫だ」
「無理はしないで下さいね」
「…無理しようがないぞ」
思わず吐いたその言葉は、存外重い言葉だった。
「…そうですね」
祐一はまた、歩き出した。
それから暫くして、二人は旅館へと着いた。
宿帳に祐一だけの名前を書き、部屋へと案内される。
「…着いたな」
「そうですね」
「…どうした?」
「いえ…」
「…?」
栞の様子がおかしい。
「どこか具合でも悪いのか?」
「悪くなんかなりません! だって私は…!」
栞は、目に涙を溜めて叫んだ。
思わず、祐一は栞を抱きしめる。
「…ごめんな。俺は鈍感だから、お前の言いたい事が判らないんだ…」
栞の肩が小刻みに震えている。
抱きしめた栞の体は、何も無い様で、しかし存在を主張していた。
「栞…。俺は、栞に何をしてやれるんだろうか? 苦しい事があるなら、何でも俺に言ってくれ」
お互い好き合っている事は、祐一も理解している。
だけど、それでも拭い去れない別れの恐怖。
間違いなく、栞は今の祐一との関係に戸惑いを感じ始めている。
「栞…」
「…祐一さん」
栞が、静かに口を開く。
「何だ?」
「…祐一さんは、今の私との関係に、納得していますか?」
「…そりゃあやっぱり、納得いかないな」
「え?」
「栞が、何でこんなに近いのに遠いんだろうって、思ってる」
「祐一さん…」
「栞、俺に隠している事があるだろ」
「…ありません」
「じゃあ、普段はすごく明るいお前が、俺と二人っきりで旅行してるのに何ではしゃがないんだ?」
「二人っきりじゃありません」
「…じゃあ」
「祐一さん独りです」
決定的な一言が放たれる。
「栞、俺は…」
「祐一さん…私はもう、この世には居ないんです。ただ、あの世に逝きそびれているだけなんです!」
栞の目から涙があふれ出る。
「祐一さんには、名雪さんやお姉ちゃんが居ます。私の事なんか忘れて…」
「いい加減にしろ」
栞の言葉を遮り、祐一は腕に込める力を強くした。
「俺の気持ちを無視する気か? 俺が納得しないのは、そうやって栞が自分独りで抱え込んで、俺には何も頼ってくれない事だ。俺は、栞の代わりなんかいらない」
「…でも…私は…いつか、消えなきゃいけない運命なんですよ?」
「そんなもの、誰だって一緒だ。俺だって、明日事故で死ぬかも判らない」
「そうですけどっ…だけど…っ」
栞の声が、嗚咽に変わる。
「お前が望むならどこへだって付いていってやるし、何でもしてやる。だから…お前は自分のやりたい様に振舞えばいい」
「…私、何て言ったらいいか、判らないです…」
「栞…」
「どうして…どうして、祐一さんはそんなに優しくしてくれるんですか? いつかは、私は消えてしまう運命なのに…」
「俺は、栞の事を放っておけなくて毎日中庭に足を運んだ。栞の事が好きだったから一週間の約束を守った。そして今、俺は栞と一緒に居たいからここに居る。全部、俺がやりたかった事だ」
「だから、自分は別に優しくないっていう事ですか?」
「よく解ってるじゃないか」
「…でも…私にとっては、優しいんです…」
栞がうつむく。
その顔からは、困惑の色が強く写し出されていた。
「お互いが良い思いをしているなら、それでいいんじゃないか? …それより、温泉入るぞ。何の為にここに来たと思ってるんだ」
そう言って、祐一は支度を始めた。
「栞」
祐一は、まだ涙を止められない栞に話しかけた。
「…はい?」
「…いや、温泉に入りながら聞くよ。支度、して来いよ」
そうして、祐一は部屋を後にした。