青い空に言葉を乗せて 第五話





「広いな…」

 優に、二十人くらいは入れるような温泉だった。
 何故かと言うとここの宿は混浴一つしか無いからで、しかも今は平日の昼、貸切だった。

 お湯に浸かると、全身の力が抜けた。
 最近、色々とあったからな…。
 もう会えないと思っていた栞に会えた。
 そして、今も同じ時を過ごしている。

 しかし…どうやってこの世に留まっていられるんだ?
 どうして急に『いつかは、私は消えてしまう運命なのに…』なんて言い出したんだ…?
 その時、遠慮がちに戸が開いた。

「お邪魔…します」

 おずおずと、栞が入って来た。

「貸切だぞー」
「え、あ…そうですか。じゃあ、堂々とお話が出来ますねー」

 バスタオルを一枚体に巻いた姿で扉から歩いて来る。

「早く入れよ」

 恥ずかしくてあまり面と向かって話していられない。
 見た、という事実ではあれなんだが、恥ずかしい事には変わりない。

「はい」

 静かな水面が揺れる。
 栞が、寄り添ってきた。
 大きな温泉の中に、ぽつんと寄り添う二人。

「はぁ〜、気持ちいいですね〜」
「そうだな。…栞は温泉、来た事ないのか?」
「体が弱かったので、刺激の強い温泉は来た事無かったんですー」

 栞がすごく顔を綻ばせて言う。
 こういう顔を見ていると、連れてきて良かったな、と思う。

「そうか。…よかったな」
「はい」

 そう言って、栞は目を閉じた。
 俺は、訊かなきゃならない。
 何故、栞がここにいられるのか。

「…栞」
「…願い、です」

 どうやら、俺の言いたい事が判ったらしい。

「あゆ、か…?」
「……」

 あれから、忘れていた色々な事を思い出した。
 名雪の事や、怪我をした子狐の事、そして、天使の…願いの叶う、人形の事。

「…願い事は、俺の叶えられる範囲、だったんだけどな」

 ささやかな、あゆを喜ばせる為に言った、言葉。

「やっぱり、料金不足か?」
「…まあ、そんなところです」

 確かに、たかが数千使い込んだだけで奇跡が買えるなら、誰だって買うだろう。

「そうか…悪かったな」
「いえ、楽しかったですよ。祐一さんとまた、こうして一緒に居られて」
「…いつ、なんだ?」

 少し声が掠れた。

「…よく判りません。ただ…」
「なんだよ」
「あと、一週間くらいでしょうか」

 栞が哀しげに言う。
 あの時と、同じ。

「…そうか」
「多分、それが限界です。…祐一さんが」
「…俺が?」

 栞の意図が読めない。

「一般的に、幽霊と一緒に過ごす人って、どうなると思います?」

 怪談なんかによくある話。
 栞の言おうとしている事が、俺の思っている通りならば。

「…生気を吸われて、ってあれか?」
「そうですね」
「…確かに、俺が願いを叶えているのか」
「そうなりますね」

 栞が『一緒に居られない』と言った真の意味。
 やっぱり、奇跡は起きないものなのか…。

「…どうします?」
「…ん?」
「約束、出来ますか?」

 俺の顔が強張るのが、自分でも判った。




約束


一週間


消える


会えない


苦しい


苦しい




 あの時と、同じ。
 俺は、あの苦しみを、あの切なさを、あの辛さを、また…味わうのか…?

「…祐一さん」

 隣には、少女。
 今にも消えそうな、儚い笑みを浮かべた少女。
 また、大切な人を失うのか?

 あゆが病院に運ばれた時、俺はここでの出来事の記憶を封印した。
 結局、そのあゆはもう居ない。

 そして、久しぶりに訪れたこの街で、また…。

「こればかりは、仕方ないです。祐一さんや、私が悪い訳ではないんです。だから…」
「だから、残された時間を、精一杯生きましょう」
「…栞」

 返事が来る前に、栞の腕を引き寄せ、抱きしめた。

 軽い。
 殆ど感触が無い。

「…何で俺たちは、一緒に居られないんだろうな」
「…祐一さん…」

 栞が、腕の中で力を込める。

「…恥ずかしいです…」

 栞は、引き寄せられた勢いもあって、殆ど全裸に近かった。

「恥ずかしいって思うのは、生きてる証拠だ」

 俺は、栞は更に強く抱きしめた。

「…祐一さん、無茶苦茶です。そんな事言う人、嫌いですよ」
「嫌いで結構。それでも、お前を手放したくない」
「…そう言ってくれる人は、嫌いじゃないです」

 栞も、俺の背中に手を回してきた。

「あと一週間…か。居られるまで、ずっと一緒に居よう」
「そうですね」

 静かな波紋が広がる中、俺たちは唇を重ねた。



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